せれそん!〜黒髪ギガロマニアクス

あの「セレソン」がまたまた帰ってきた!!


セレソン復活の時はきた

『アニメ学概論』

『アニメ学概論』  鼠齟野粕男(ソソノカスオ)

(この論文は平成28年2月世界深夜アニメフォーラムにて氏が提唱された

学説を推敲し書き起こしたものである。)

 

はじめに

2016冬アニメ 1月号によせられた

ひろっく氏のコメントに対して

改めて自身のアニメとの出会い、アニメについての

考え方であったりとらえ方であったりを

まとめてみようと思い、今回新たに筆をとることにした。

 

1、ソッソとアニメの出会い

今回この場を借りて、改めて

ソッソとアニメーションの出会いを

事細かに書かせていただきたいと思う。普通の人はなんとなく見始めたみたいな感じでしょうが、私にははっきりとしたキッカケがある。ここからしばらくしょうもない自分

語りをおっぱじめるんで、まあクッソ暇ならよんでっちょ(遊食館風)

 

小学校中学校時代

元々、アニメやマンガは好きだけど、ほんと人並みかそれ以下な感じだった。

あれば読む、見るが積極的なタイプではなかった。しかし、TVは大好きで

ニュース、ワイドショー、ドラマ、アニメ、ドキュメンタリーなど見まくってた。

幼き頃(幼き頃ってなに?ちっちゃいころでええやん)はふつうにアンパンマン

トムとジェリーを夢中で見てて、幼稚園年中のころに始まったポケモンだけは

一種宗教のような、「見なくてはならない」という決まりのようなものがあった気がす

る。雷で停電になったとき、わざわざ人の家に行って見る(ゴースの回。当時ってビデオとかなかったん?)というのは、今考えると大分迷惑な話だし、すごい情熱だと思う。

(最近では、録画失敗したファフニール8話をカズンに焼いてもらった。見なくてもよかったなぁ。その後、小学校に入学。正直ポケモン

のように毎週見るものはなくなり、おじゃ魔女とかコナンは見てたぐらい・・かな?

漫画はそこそこ読んでいて、ドラえもんパーマン、キテレツなどの不二子作品や、コロコロ特に星のカーヴィー、ドラヴェースは買いまくってせっせと読んでた。中学に入ると、学校部活塾など、アニメや漫画を楽しむ時間などなくなった。

晩飯のときにちょいちょい「焼きたてジャパン」を見てた。子安が毎回暴れまわってるのをマッマたちと笑いながらみてた。それ以外にはブラックジャックのリメイクを

見てたぐらい。深夜アニメっていう概念すら知らなかった。

 

高校時代

私がアニメの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのが、この高校時代・・

具体的な日時も覚えている。2007年4月10日(日)である。

高校生になると同時に、15年過ごした家を引っ越した。

新しい新天地には友達もおらず、そして家庭の事情により環境も変わり

今まで積み上げてきたものが、本当になにもかも失ってしまったような

つらく苦しい状態にあった。入学式を終えた週末、野球が好きだった

ので、親に頼んでスカパーに入った。野球関連しか本来見れない契約だったが

一か月は無料で全チャンネルが視聴できたのでいろいろな番組を見ていた。

PM4時半、私はたまたまキッズステーションにチャンネルをあわせた。

その瞬間青いバックを背にすこ~~~しどっかで聞いたようなタイトルの

ロゴが上からゆっくり下から浮かんできた。

めぞん一刻


Maison Ikkoku Opening 4 - Sunny Shiny Morning


めぞん一刻 OP4 [STEREO]

もしあの日、あの瞬間にキッズステーションにチャンネルを合わせていなかったら?

僕はひょっとしたらアニメを好きになるとかではなく、不登校もしくは生きてはいけなかったかもしれない。それぐらい精神的にしんどかった。コミ障クソボッチから環境や

アイデンティティを全て奪ったらそらそうなるよ。

 

このOPを聴いた後、すぐに物語が始まる。

第62話「ヤッタ!響子と混浴露天ぶろで二人きり」

露天ぶろ?っとちょっとした下心ももちつつ、見てみる。

当然物語の途中も途中。人間関係とかも全くわからないが

この男が言ってる管理人さんって誰のことだ?バスに乗ってるおっさんか

なんかか?ってぐらい知識がない。そもそもめぞん一刻を語感的に

グルメ漫画かなんかと思ってた。正直、まぁもう見ることはないかな?って思った。

夕食後、またスカパーでいろいろ番組を物色。そろそろ寝ようかな?と思ったとき

11時半、またしても僕はたまたまキッズステーションにチャンネルを合わせる。

デデッデ デ デ デ デッデデ~♪ 少し聞き覚えのある音とともに

少し見覚えのある青い画面に、あの五文字が浮かんでくる。

めぞん一刻


Maison Ikkoku Opening 4 - Sunny Shiny Morning

めぞん一刻 OP4 [STEREO]

 

キッズステーション含め、有料チャンネルは同じアニメをヘビロテする。

まさか同じアニメが同じ日に同じ話が放送されているとは・・。

そして偶然にも4時から5時、11時から12時と2話連続の放送枠を

なぜか4時半、11時半ジャストから見だすファインプレー。

全く同じ瞬間から全く同じ内容を2回見た。

正直、1回目とはかなり違う感覚で見れた。面白かった。

そしてOPとEDがすごく好きになった。めぞんというものに

すごく興味を持った。これが2回見ると好きになるマンの原点かもしれない

それ以降、毎週日曜日に放送があることを知り、すぐにキッズステーションに入会。

毎週日曜が楽しみでしかたなくなり、それまでの平日の6日はひたすら日曜に放送され

た2話をビデオが擦り切れるぐらい見る。だって友達もいないし、部活も入らなかったし、パソコンもないし他にすることなんてあるわけがない。ただ、めぞん一刻という

物語の中に自分を逃避させ、今ある現実から必死に逃げていた。いや、もちろん

めぞんの物語がクッソ面白いってのもありますが。

そのうち我慢できなくなり、マンガを全巻購入。62話までの流れを理解する。

そして最終巻・・心がぶっこわれそうになるほど感動した。今まで感動とか

したことなかったし、自分に感傷的な感情が存在することに初めて気がついた。

人となり、アイデンティティの形成がもっとも促される高校生なりたての頃に

このような出来事に遭遇したのは、私の人格形成で最も大きな出来事だった。

だからこそここまで詳細に覚えている。

 

私にとってめぞんとは?~めぞんシンドローム

私はめぞん一刻のことをアニメだとかマンガだとかあまり思わない。

アニメ・マンガ・めぞんみたいなイメージ。だから誰にも勧めようと思わないし、

めぞんの話をしたいともあまり思わない。心の奥底の大事な部分みたいな感じで

ハイパーメジャー作品にも関わらず、他の人が読んでたり見てたりすると

自分の心をのぞかれているようでちょっとドキッとする。

 私がクソアニメを愛好するのもめぞんという存在が関係していないとは言えないと

思う。たとえ今後どんな作品が現れようとも、めぞんには勝てない、所詮はアニメの中

の一番というポジションに自分の中でおかれてしまう、という考え(めぞんシンドローム

と私は名づけている)がある。めぞん自体そもそもアニメファンの中にも1番好きという人も多くいる中で、これを1番最初に見てしまったのは、どうなんだろう・・・とは

思ってしまう。でも、めぞんじゃなければこのアニメの世界にこられなかったとすると

それは最高の出会いだったと思う。

 

めぞんOP 「サニーシャイニーモーニング」

高校入学後、待ち構えていた最初の行事「自然教室」

最高にボッチで迎えた私は、無事他のクラスメイト全員参加の腕相撲大会中も

無事ベットでめぞんOP「サニーシャイニーモーニング」を脳内エンドレス再生で

乗り切った。別に同級生からはぶられていたわけじゃなかったが、15歳という多感な時期に苗字がかわるということはすごくショックなことで、自分が自分じゃないみたいで、とにかく人に名前をよばれたくなかったから、極力人と関わらないようにしていた。まあ何が言いたいかっていうと

アニメより先にアニメOPが好きになった

てこと。アニメを現実逃避の道具として使っていて、より効果的だったのがアニメOPとも言いかえられる。

それからずっと通学中の電車の中でひたすらOPED集アルバムをカセットウォークマンにいれて聴いていた。(昭和かな?)モノラルなので、イヤホンの片方からしか音がでないんだよなぁ・・。

空前のめぞんブームが下火になり、これまたキッズステーションで放送していた

「らんま」にはまっていく。

これまたOPEDアルバムを購入して聴きまくる。

アニメ本編を楽しめるのは、アニメを見ている時にかぎられる。

(よほど気に入って繰り返し見れば、脳内で完全再生できるシーンもあるが)

しかし、OPEDという歌は、耳さえあれば楽しめるし、

授業中、仕事中なども脳内再生が余裕である。

アニメを見ている時間より、見ていない時間の方が当然ながら長いのは当たり前。

では、より長い見ていない時間を楽しませてくれるアニメ、つまり本編が面白いアニメ

より、OPEDが優れているアニメの方が自分にとって重要になってくる。

これは、OPED以外にも言える、ソッソの基本的なアニメの考え方の一つとして

あるのが、

見ている時は、面白くないけど、後々から考えるてみると

実は面白かったり、誰かと話ているときは、すごく楽しいアニメの方が好き

ってこと。だって先ほども言ったけど、たとえどんなアニメでも、見ていない時間の

方が長いんだもん。そこを楽しませてくれるアニメが好きなんだよね。

これは相当偏屈な考え方だと思うが、私みたいに24時間アニメのこと以外考えてない

本当のアニメ廃人なら当然なのかもしれない。だから、仕事もせず一日中ずっと

アニメを見れる環境ならそんな状況にもならないし、セレソンのような語れる仲間

いなかったら、話をすることもない。今の環境だからこそ、そういうアニメの方が

好きになったと思う。OPEDとは関わりがないが、もう少しこの話題について触れて

みたいと思う。前々から考えていたことであるが、

アニメに対する個人の評価は、作品における内的要因よりも、自らの環境等の変化を含む外的要因によって決定される

ここでいう内的要因とは、具体的には

ストーリー・キャラクター・OPEDなど誰もが同じフラットな状態で視聴した際の

中身のこと。

内的要因によると

そのアニメを面白いと思う→そのアニメを好きになる

 

反対に外的要因とは、そのアニメにおける

先入観、穿った見方、ふとしたきっかけによる考え方の変化などである。

まあ当たり前といえば、当たり前の話であるが、誰しも、キービジュアルを見れば少なからず何かしらの「先入観」を持つ。面白そう、つまんなそうなど。まずこの時点でフラットの状態ではないといえる。例をあげるとするなら、「ケイオスドラゴン」の

キービジュアルを見た瞬間、う~ん、合わなそう、と思うなどといったことである。

この「先入観」という外的要因がストーリーやOPで評価が変化するのであれば

それは「内的要因」における変化であるといえる。恐らく大半のアニメはそうだろう。

しかし、私の場合、ストーリーに変化がなくても、OPに変化がなくても

ある日、急に考え方が変わる「あれ…?実は神なんじゃないか・・???」

これがいわゆる「外的要因」である。この「外的要因」のきっかけになるのは

大きく分けて二つ。

セレソンたちとの意見交換、およびクイズならびにゲームにおける頻出性」

「業務中における、作品の再評価」

これらを経て、本編の内容とは関係なく、

そのアニメが好きになる→そのアニメを面白いと思う

この順序が内的要因のそれとは反対となる。

もっと極端な例を出すと、一周きっかり見終わった後ですら、

少しでも気になったとこ、少し好きなところがあれば

全体が好きになり、全体が面白かったというふうに置き換わっていく。これは普通の人

にはおこりえないことでしょう。なぜか?

恐らく、自分のようにアニメについて冷静にじっくり考える時間があまりないから。

その時間が自分には、仕事中にある。早番のときのAM5時から9時ぐらいまでは

ひたすら品物を出す機械のごとくはたらく。ありがたいことにこの時間は

頭を一切使わず、誰とも話すこともなく黙々とアニメについてじっくり考えることが

できる。自分の場合は特にパンを出してる時が一番頭がフル回転していろいろな結論に

いたる。ロリガの評価がひっくりかえったのもパンを仕分けしながら熟考していた

時である。実はすげえ面白かった気がする・・・。いや、間違いなく面白かったわ・・

 

さて、かなり脱線したが、アニメとの出会いの話の続きに戻る。

高校時代におけるもう一つの転機となったのがこのアニメ

具体的には、EDというものについての基本的な考え方はここから

つくりあげられていった

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シティーハンターです。

このアニメを見たことがない人も、こちらはほとんどの人が一度は見たことがある

もしくは耳にしたことがあるんじゃないでしょうか?


シティーハンター - エンディングテーマ ~Get Wild~

(好きな通常がなかった・・)

(ニコニコに行ったらもっとなかった・・これほんとすこ)

 

 

そう、GetWild 

毎度おなじみキッズステーションで毎週夢中で見てた。

冴羽さんの無双っぷりが好きだったが、この「シティーハンター」というアニメ

いわゆる例のあれ「止めて、引く」EDの演出により

内容がどうであれ、面白かったと錯覚する

OPは本編の前にあるし、BSなどの放送ではCMをはさむから内容に

直結しないイメージがある。もう少し具体的に書くと、OPはそのアニメの看板

であり、そのアニメのシンボルともいえる存在ではないかと考える。

だから、OPだけは知ってるというアニメが多く存在しているのではないか?

しかしEDの場合、本編が終わりすぐにはいり、またはつながって

いたりするのも多く(いわゆる特殊EDとか)、そのアニメと切り離して考えることがで

きないものだと考える。シティーハンターのようにあそこまで有名にならない限り

EDは実際に見てないと知らないようなことが多いのではないだろか?

長々書いたが、ポイントとなるのは

EDが良いアニメ、好きなアニメはそれだけで本編も面白く感じることが多い

ということ。考えてみると好きなEDって実はそんなに多くはないことに

気がつくし、あくまでこの考え方は絶対でないということは留意すべき点である。

関連して注意しておいてほしいのが、OPEDが好きなアニメは本編も好きだ!

ということを言いたいわけではなく、あくまで好きになる大きなきっかけになる

ということである。

高校時代の話に戻す。

その後、横山光輝三国志ミスター味っ子美味しんぼきまぐれオレンジロードなどを堪能。きまぐれオレンジロードはED「夏のミラージュ」が好きすぎて見まくってたが正直面白いとはあんまり思わなかったなぁ・・。


Kimagure orange road - ending 1

「遊び心に呪文 ふりぃか けぃてぇ~」

これは元々アメトークの昭和アニソン芸人かなんかで

紹介されてたのを見たのがきっかけ。

当時の友人たちが、ハルヒらきすた、咲、みなみけひぐらしといった

S級深夜アニメにはまる中、「ワイは女の娘がかわいいだけのアニメなんか

興味ないんや」「最近のアニメなんてどうせ萌え~とかそんだけやろ?」

など謎の硬派をきどったガイジっぷりを発揮していた。まぁ純粋に回りと違う

自分、カッコイイみたいなところがあったんだと思う。今も昔も人と同じように

物事をするのが嫌だっていうエセ変わり者気取り。

 

大学時代前篇 (大学3年生秋まで)

1年~2年まではサイク部としての活動に専念。

基本的に部室にて生活し、家ではニコニコを見たり、めぞんを見たり

笑うセールスマンを見たり、年末休みにはテニプリを全話一気に見たりと、

深夜アニメとは無縁の暮らしをおこなっていた。

転機となったのは

大学三年生になる前の春休み、これも具体的な日時がわかっている

2012年2月8日(日)

おおおお・・・今日が(2016年2月8日)現代アニメを見るようになって

ちょうど4周年なのか・・・・。

この日、ソッソは俵山近くの地蔵峠に自転車でのぼるため少し早起きをした

なんとなくTVを見ていて、その2週間前ぐらいにスレで

「新しいプリキュアが大友向けすぎるww」見たいのを少し見たのを

思い出した。プリキュアに関しては、監督家主催の徹夜マージャンが

土曜の夜から、日朝の一連の流れを見終わるまでだったので

その前のスイートプリキュアはほんのちょっぴり見てたぐらいで

まーた徹マンがてらに見てみっかぐらいの感じだった。

出発まで時間あるし・・ちょっと見てみようかな・・

14型のクッッソ小さいテレビにカラフルな文字がうつりあがる。

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「すっごい鮮やか・・。」

放送されていたのは、2話「燃えろ!熱血キュアサニーやで!!」

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 ふつうに面白いなぁ・・

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リアルタイムでアニメを真剣に見たのほんといつ以来やろ・・・おもろいやんけ・・

そして地蔵峠登山中もちょいちょい今朝みたスマプリが頭をよぎる。

「来週も見よう!」

そして次の週

ソッソ家でおこなわれてマージャン

メンツはなかむー・ばっさ・しかーさん。

ボロボロにばっさにされた心の傷を8時半から始まった

3話「じゃんけんポン♪でキュアピース!!」は十分に癒してくれた。

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(ばっさのお気に入り キュアピース)

ばっさ、なかむーともに面白いとなり、ここからスマプリブームは始まる。

4話「直球勝負!風のキュアマーチ!!」は実家で視聴。

テンションあがりまくりで2階で大暴れした(マッマも呆れとったで)

5話「美しき心!キュアビューティ!!」はついにれいかさん回ということで

テンションMAX。小さなテレビをこたつの上に移動させ0距離で見る暴挙。

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大正義なんだよなぁ

 

続く6話は九州一周(笑)旅行中の久留米の公園のテントでガラケーで視聴

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プリキュア!!

4人で仲良くやったのが懐かしいなぁ・・(涙)

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旅先でカードを買っちゃいかんのか?(西鉄ストア「ええんやでニッコリ」)

これ以降、毎週毎週、人生の一番の楽しみと

繰り返し何回も見ては日曜日を待った。

この時ソッソはついに上記のポケモン以来(15年ぶり)

本気で毎週リアルタイムでアニメを見る生活がはじまった。

当然、録画環境と大きなTVが欲しくなった。

そこで、治験に参加してその費用でドーン!とTVと買うぞ!なお

(え?直前にケーキをいっぱい食べたらあかんのですか?)

実家から32型TVを分捕り、ブルーレイレコーダーを購入し

万全の状態をつくる・・・・。

え?BSってこんなにいっぱいアニメやってるの??

大学入学とともにBSと録画機能登載TVを手にし

アニメ視聴を開始していたカズンに教えてもらう。

ある日、カズンの家に行ってfate Zeroの畜生を見せてもらった。

「面白いンゴ」

スカイプでヨキャンに「謎の彼女X」というアニメを教えてもらう。

(当人は早々と切った模様・・)

のちにしかださんも「謎かの」大好き民であることを知り驚く。

しかださんや、俺といった人種は「深夜アニメ」たるものを見る日がくるとは

思ってもみなかった。ああいうのはオタクと呼ばれる一部の特殊な人々が見るもの

といった認識がまだまだ強かった。これが小中と共に過ごした同士が見ているというの

だから、実は深夜アニメなどは特別なものではないんだろうなぁ・・・とこのとき

思った。

同じBS民であるカズン。

アニメいっぱい見るマンのばっさ。

気に入ったものを選んでみる山岳。

4人で晩飯のときにちょいちょいアニメの話をするようになった。

これはソッソにとってとても大きな経験だった。

生まれて初めてリアルタイムのアニメを見て、すぐに感想を言い合うのは

すごく楽しいことなんだなぁ~って感じた。しかし当時は見始め、自分の意見などなく

叩いたり、べたぼめすることなくただ単純に

「もう見た?面白かったよねぇ~」程度だった。

いまでも、ばっさが「先輩!見ました?」ってニヤニヤしながら言ってくるのを鮮明に

覚えてる。野郎、あっちにいったら10000作品ぐらいたっぷり話してやるからな・・・(大泣)

 

ソッソがクールというのを意識しだしたのは

それはレコーダーを7月に手にし、迎えた次のクール

この年の秋、2012年の秋クールからだった。

現在のソッソのくらしは、スマプリをより良い環境で見るために

いろいろ整備した結果、ついてきたものだった。

ここまでのソッソのアニメのターニングポイントをまとめる

1、高校入学と同時にめぞんに出会う

⇒アニメ(昔の)を見るようになるきっかけ

2、大学3年生のころスマプリにであう

⇒リアルタイムいわゆる深夜アニメを見るきっかけ

 

大学時代 後篇(大学3年生秋~卒業)

ここの1年半で現代ソッソの基盤が完成する。

元々ソッソは大学1年から2年生まではサイクリング主体で生活してきた。

そして3年秋より『プロソフトボーラー』

としての活動を本格化させる。ソフトボール大会で優勝する。ただそれだけの

ために生きていた。これは高校生のころからだが、ソッソの趣味の一つに

素振りがある。バットを振ることが好きだった。そのお供にアニメはかかせないもの

だった。ゲームは素振りしながらできないし、マンガも無理。じゃあ?

アニメを見るしかないじゃないっっ・・

本来的にアニメ生活は素振り生活でもあった。こういうライフスタイルも

アニメを人よりも長時間見る礎となったのは間違いない。ここまでくるとなにか

生活習慣などの文化論みたいな気もしてきた。

では、ソフトボーラーはどう生きたのか?

ここからは略表を使い簡単に足跡をたどる

3年秋 サイク部引退

    ⇒本格的にソフトボーラーとして生活を始める

     大会は決勝トーナメントにも進めず

(ガルパンブーム。BTOOM、おにあいなどを視聴。)

 

3年 12月 ばっさとの別れ

     ⇒人生観の変化 熊本への長期滞在を望む

 

4年 5月  春のソフト 敗北 

 

4年 夏休み 空前のレトロゲームブーム

   朝から晩まで必死にファミコンスーファミをやる

   (ステラC3部との出会い 語れるアニメとの出会い)

 

4年 11月 ソフトボール大会制覇

(ゴールデンタイムとの出会い ステラとともに3度目のターニングポイント)

 

4年最後のソフトボール大会を制覇し、完全燃焼したソッソ

なにかに夢中になることが大好きな私は、完全に空気の抜けた風船になって

しまった。そんなとき、あらたに夢中になれるもの、それを

「ゴールデンタイム」に出会い、アニメだったことに気付かされる。

ここから生まれて初めて、一番好きなもの、一番の生きがいがアニメになった。

いままでは、野球、ソフト、サイクリング(小声)を超えることはなかったが

ここで名実ともにアニメがてっぺんとなり、アニメを生活の中心とする生活がはじまり

いまに至る。夏にステラと出会ったのは大きかった。アニメを見て、あれほどの衝撃を

うけることはなかった。えぇ・・こんなのってありなのか・・・。

アニメに対して様々な意見を持つようになるきっかけとなった。

 

ターニングポイント

③ステラ女学院C3部という語れるアニメとの出会い

 ゴールデンタイムという一番好きと言えるアニメとの出会い

詳しくはこちらを参考に

 

seleson-da.hatenablog.com

 

 

それ以降のことは上に貼った記事に細かく書いてありますので

割愛します。2014年夏のセレソン誕生のきっかけも書いてます。

では長々書きましたが、ソッソとアニメの出会いの章はここまでに

しておきます。

 

2.なぜ多くのアニメを見るのか?

多くの人は疑問を持つことでしょう。

なぜそんなにいっぱい見るの??面白くないのになんで見続けるの?

私にはちゃんとした理由が2つあります。

ここではそれについて書いていきます。

1、アニメをクールというマクロな視点で捉えているから

これはあくまでリアルタイムで多くのアニメを見るということについてです。

私のように働きだして、ほぼ変わり映えのない日々の繰り返しだと、たとえば3カ月前

と違いがあるとしたらそれは見ているアニメが様変わりしているということ。

今と3カ月後ではほとんど同じような仕事をしているが、プライベートは全く違う環境

にある。これは幸せなことだと思う。じゃあ別に本数は関係ないじゃん・・と思われる

かもしれないが、その環境の変化をできることなら限界まで広くしたい。そのためには

より多くのアニメを見る必要がある。マクロ的に捉えるについて言及すると、一つのア

ニメは単体で存在しているわけでなく、同時に放送されていたアニメに視聴者が影響を

うけつつ存在していると私は考える。簡単な例を出すと、同じようなジャンルのアニメ

があったとして、どちらも面白いが、片方が飛びぬけて面白かった場合、もう一方は

面白くないこともないのに、あまり評価されない、などである。比較することで特徴や

似ているところを考えたり、クール全体のイメージなどを自分で創造するのもとても

興味深く好きである。

(例)

ゴールデンタイムという言葉で連想するのは?

一般解答例  ラブコメ 多田万里 よさこい

 

普通の人はだいたい内容とかキャラクターでしょうがマクロ的

リアルタイム性でアニメを視聴していると

 

ゴールデンタイムという言葉で連想するのは?

2013年秋~2014年冬

ストブラ 東京レイブンズ サムライフラメンコ

ほかにも、当時自分がどういう状況だったか?など

様々な私的なことを思い出す。

アニメ一つ一つが当時を思い出すきっかけとなり

唯一の指針となる。

〇〇を見てたとき⇒〇〇をしていた と思い出すことができる

他にもマクロ的に見る大きな要因となったのがこのOP集である


[ Winter 2014 Anime ] OP サビメドレー 【2014冬アニメ】Final version

(100回以上は聴いた。順番もほぼ覚えてるレベル)

こういうクールのOPを聞くようになり、一つの曲として覚えるぐらい聴きこみ

なにか、これら40を超える作品に一体感を覚えるようになった。

これらOP集を聴いて、自分が見てないのがあると、悲しい気持ちになるし

見なきゃ(使命感)となった。実はこれがほぼ全部見るマンのきっかけである。

ほぼ全部見るマンの誕生は(2014年冬 丸2年が経ちました)

 

2.どんなアニメでも好きになる可能性があるから

先もふれたように、外的要因によって好きになることが多い以上

どんなアニメでも好きになる可能性は大いにある。自分の打線をふと見返しても

最初から好きだったアニメなんてほとんどない。むしろ反対に嫌いだったアニメが

ほとんどである。どこかで一回嫌いになり、あるきっかけで好きになる。

これを繰り返してきた自分にとって、まさに全部見ないと可能性を減らすことになる。

もし、あの時つまらないからといって、あのアニメを切っていたら・・・自分の好きな

アニメが一つ減っていると考えると恐ろしいことである。

自分のアニメに対する信念を表す言葉として、常に胸においているのが

つまらないアニメがあるのではなく、

つまらないと感じる自分がいるだけ

面白いアニメがあるのではなく、

面白いと感じる自分がいるだけ

 

最後に、ひろっく氏の質問、ソッソにとってOPEDとはどういう立ち位置なのかについてもう一度まとめておくと

1、作品の看板であり、その作品を最も的確に表現することのできるもの

2、OPが好きであれば、そのアニメ自体を好きになる確率は大いに高くなる。

  なぜならアニメはどうやっても見てない時間の方が長いのだから

3、EDが好きなアニメは特別。EDさえ良ければすべて良かったとすら錯覚できる。

 

おわりに

最後にこの肥だめ(パウルクレイ風)のような

クソッたれの記事を最後まで読んでくれた方がいらっしゃれば

あなたならどんなアニメでもきっと愛することができるでしょう!

すぐにカーニヴァルでも見てください!では、長々と駄文駄文&駄文にお付き合い

下さりありがとうございました。

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